昨日3月3日は、全米50州のうちの14州で予備選挙の投開票が行われる、いわゆるスーパー・チューズデーでした。
14州の中には全米最大の選挙区であるカリフォルニア州や、次いで最大規模であるテキサス州も含まれており、多くの予想ではこのカリフォルニアでバーニー・サンダースが大勝利を収めて予備選レースをリードし続けると考えられていました。少なくともネバダ州での勝利後、多くのニュースメディアは「バーニーにはモメンタム(流れ)が来ている」と伝えていました。
しかし、2月29日に行われたサウスカロライナ州予備選でその流れは急速にバイデンへと傾くこととなりました。
彼は当地で49%もの票を取って39人の代理人を獲得。序盤戦でレース下位に沈んでいた彼は、代理人獲得レースで一気にサンダースに肉薄しました。
スーパー・チューズデーで、彼はアメリカの中心を南北に流れるミシシッピ川から東側の州をサンダースの地元でるバーモント州以外総なめし、また最大規模の選挙区であるテキサス州でもギリギリの勝利を収め、現時点での開票結果では380人の代理人を獲得したことで、レースのトップに躍り出ました。一方のサンダースは西部を抑えたモノの、その獲得代理人の大半はカリフォルニア頼みで、しかもそのカリフォルニアでも思ったほどバイデンに大差をつけることが出来ませんでした。87%開票時点で得票率はサンダースが34%、バイデンが24%となっており、事前の世論調査ではサンダースが30%台、バイデンが10%台であったため、バイデンにとっては非常に善戦した結果となっています。
このスーパー・チューズデーでのバイデンの勝利の理由について、テクニカルな分析はマスメディア上でなされていて、ピート・ブーティジェッジとエイミー・クロブシャーの撤退により中道左派層の票がバイデンに集約されたことや、堅固な黒人からのバイデンへの支持をサンダースが切り崩せなかったことなど、世代間の違いなど、メディア上では様々な理由が予測されています。
そういった分析は日本のニュースメディアでも報道されると思うので、今回はそれとは違う、バイデンとサンダースの選挙運動が持つ性格の違いについて考えていきたいと思います。
”ハッピーな戦士”ジョー・バイデン
スーパー・チューズデーの翌日、ニューヨーク・タイムズのウェブ版に以下のオピニオン記事が掲載されました。
Bernie Angry. Bernie Smash! – Forget the Happy Warrior. Enter the Crabby Warrior.
この記事を書いたジェニファー・フィニー・ボイラン氏は、今回のスーパー・チューズデーで、メイン州にてエリザベス・ウォーレンに投票したそうです。
「私はエリザベス・ウォーレンに投票した。彼女はその選挙の初期から、その持ち前の楽観主義で私の心を捉えてきた。ウォーレンを見ていると、良きユーモアと活力を見せつけることで、大統領選という長い道のりすらも歩みぬくことが出来るような気がした。」
エリザベス・ウォーレンは今日3月5日を持ってこの大統領選から撤退することを発表しました。ウォーレンは当初、サンダースと共に学費や医療の無償化、保険制度の大改革を唱え、進歩主義者の大統領候補として人気を集め、一時は支持率調査で一位に立った事もありました。しかし、彼女はその後保険制度改革への主張を少し後退させることで中道派との間に立とうと試みたことで支持者の一部がサンダースに流れてしまい、結果として予備選の本番では思うように支持を集めることが出来ませんでした。
ボイラン氏は、このウォーレンとサンダースの大きな違いは”楽観主義”であると考えているようです。そして、この”楽観主義”という特性を持つもう一人の候補者であるバイデンはスーパー・チューズデーでの復活を遂げることが出来たとしています。
「政治家にとって、楽観主義こそがその魅力的な特性であるとされていた時代があった。バラク・オバマとビル・クリントンはそれを持っていた。ロナルド・レーガンも確かに持っていた。
そしてジョー・バイデンもそれを持っている。オバマ大統領は、2012年大統領選の勝利演説の中でバイデンのことを”America’s happy warrior(アメリカのハッピーな戦士)”と称賛した。それこそが、このスーパー・チューズデーでの素晴らしい結果をもたらした、彼の楽観的で希望に満ちた感性だったのかも知れない。」
ジョー・バイデンという人物はとても面白い人です。1942年生まれの彼は、名門シラキュール大学で法学博士を取得した後の1970年に地元の郡議会で政治キャリアをスタートさせます。その僅か2年後にはデラウェア州の国政選挙で勝利。それ以来、オバマ政権の副大統領に就任する2009年まで30年以上に渡ってデラウェア州選出の上院議員としてワシントンD.C.で活躍してきた、正に民主党のエリート中のエリートの一人です。
それでいて彼はユーモアのセンスに溢れており、またスピーチやテレビ番組の出演中にポロっとこぼれてしまう、いわゆる天然ボケのような部分が不思議な魅力ともなっている人物です。
この一週間の間にも、彼は二度も不思議な天然ボケを見せていました。
スーパー・チューズデーの勝利演説で、自身の妻と妹を間違えたり
FOX News Sundayという番組でのインタビューの最後に、眠気のせいで司会者のクリス・ウォレスを間違えてチャックと呼んでしまい、苦笑いをされたりしています。
こういった天然ボケは失言としても捉えられることも多く、彼すらも自身のことを「失言マシーン」と呼んでいるほどです。様々なニュースメディアはオンラインで彼の失言リストを掲載していたり、トークショーに出演した際にはコメディアンから失言についてツッコまれたりしています。しかし、それでも彼が今予備選挙のトップを走っているのは、そういった失言が不思議と人を傷つけないおおらかさや明るさを持っているからかも知れません。
ボイラン氏は、アメリカの政治の歴史の中では、こういった政治家の明るさや楽観的な性格が愛されてきたとしています。
「ヒューバート・ハンフリー副大統領(1960年代リンドン・ジョンソン政権で副大統領を務めた人物)の時代に戻ってみよう。これは”喜びの政治”として知られているものだ。
「私は人生を楽しんでいるよ」とハンフリーは言った。「喜ぼう。人生は短い、だから全ての瞬間、瞬間を楽しむべきなんだ」
ハンフリーが作った言葉ではないが、彼は実に”ハッピーな戦士”だった。実はこの言葉は19世紀の初頭に詩人ウィリアム・ワーズワースが作った言葉だ。
”ハッピーな戦士”とは何か?それは戦いの中に喜びを見出す人のことだ。またはモリー・アイヴィンス(2007年に亡くなったコラムニスト)はこう記している。「自由の為に戦っている時、必ずしも勝てるわけじゃないからこそ、その戦いを楽しめるのだ」と。」
ジョー・バイデンとは自身の失言すらも笑いに変えて楽しむ、選挙という戦いを楽しむ姿を楽しむことを、周りの人々を惹きつける原動力とすることが出来る人物なのです。
”不機嫌な戦士”バーニー・サンダース
そのバイデンと一騎打ちを戦うこととなったバーニー・サンダースは、彼とは正反対の性格を持つ”戦士”です。ボイラン氏はサンダースをこのように表現しています。
「バーニー・サンダースは”ハッピーな戦士”ではない。明らかに”戦士”だ。”ハッピー”か?そうでもないだろう。」
サンダースの選挙に”喜び”というものが全く存在しないかというと、そういうわけではありません。ボイラン氏は2016年の予備選挙で起きた、とあるアクシデントについて記しています。演説会の最中、彼の演説台に小さなスズメがとまったことがありました。
彼の目の前にとまったスズメとしばし目を合わせた後、飛び去るそのスズメを天に送り返すかのようなジェスチャーを示したあとで彼は「何かの象徴なのかも知れないね」と言い、会場は歓声で溢れかえりました。
このように、彼の選挙戦の中にも”喜び”がないわけではありません。一方で彼がその支持者を駆動させている最も大きなエネルギーは”怒り”です。バイデンは自身の茶目っ気を明るさや楽しさに変えて戦う政治家であるのと反対に、サンダースはその「真面目さ」から来る怒りで戦う戦士です。彼はディベートでもスピーチでも、顔が真っ赤になるまで叫び、自分の主張を訴えます。
その様を見て、ボイラン氏はサンダースがある漫画のヒーローのようだと書いています。
「それはインクレディブル・ハルクを思い出させる。
ハルク、それは怒れる時の科学者ブルース・バーナーが変身する緑色の怪物。彼はなんでも壊せる怪力で知られている。木やスクールバス、彼が住む家だって壊してしまう。」
マーベル・コミックに登場するハルクとは、特殊な体質を持つブルース・バーナー博士というキャラクターの別の姿なのですが、ブルースの怒りが頂点に達した時に、その体は筋肉隆々の巨人に変身し、肌の色はくすんだ緑色に変わります。
ハルクが敵を倒す時の会心の攻撃のことを「ハルク・スマッシュ」と呼ぶのですが、サンダースも正に様々な既得権益への怒りを募らせ、彼らを”スマッシュ”することを目指しています。
「サンダースの”スマッシュ・リスト”はハルクの木やスクールバスといったそれとは少し違う。サンダースのそれは製薬会社や大学の学費、刑務所のシステム(アメリカでは驚くべきことに、刑務所が民間会社により経営されています)だ。
彼はハルクではないし、緑色の代わりに赤くなるわけでもない。しかし、彼はハルクみたいだ。サンダースは大いに怒りによって駆動している。
そして彼は正しい。私たちは怒りに満ち溢れるべきだ。
共和党に支配される上院は、権力を濫用したトランプを罷免することに失敗した。このことを考えた時、私たちはそれをどう感じるべきか。喜びではない。怒りだ。
共和党はオバマ大統領が選んだ最高裁判事のメリック・ガーランドを拒絶した。このことを考えた時、私たちはそれをどう感じるべきか。喜びではない。怒りだ。
私たちの捻れた健康保証制度、学生ローンの重荷、そしてボロボロに荒廃した道路や橋の有様を考えた時に、私たちはそれをどう感じるべきか。喜びではない。怒りだ。
私たちは喜びではなく怒りで満たされるべきだ。なぜなら私たちの民主主義があらゆる面で機能不全に陥っているからだ。」
ウクライナ・ゲートによる弾劾裁判で彼は無罪ということになりましたが、その過程で彼は議会による調査に妨害をしかけ、共和党も、ミット・ロムニー議員とスーザン・コリンズ議員を除いては、民主党が要求していたジョン・ボルトン元大統領補佐官の証人喚問を拒絶し、トランプに不利な証言が出ないように手助けしました。
結局彼らは「権力乱用は一部認められるが、罷免するほどではない」と強引に誤魔化しながら、この弾劾裁判を終わらせました。
ウォーターゲート事件の際、ニクソンは様々な状況証拠が揃い、下院が弾劾裁判の発議がなされた時点で大統領職を辞しましたが、トランプは強行突破を行いました。
また、サンダースが特に訴えてきた健康保険制度や経済格差、学資ローンなどの理不尽な制度・社会環境を、特に若者たちや、彼に共感する進歩的な投票者たちは、「アメリカの民主主義の機能不全」と捉えており、これを突破するには”喜び”によって盛り上がるよりも、強い怒りをぶつけるしかないと考えているのです。
かつて、楽観主義はリベラル派の自信の源だったのではないか
ここで筆者個人の意見ですが、かつてジョー・バイデンが象徴する楽しさ、明るさ、楽観主義とは、アメリカのリベラル派の心の支えであり、基本的な理念であったように感じます。
2016年の大統領選の頃、コメディ・セントラルというお笑い専門テレビ局の人気番組The Daily Show with Trevor Noah(ニュース風の社会風刺番組)の中で、コメディアンたちがトランプの集会を取材し、トランプ支持者たちにひたすらある質問を投げかけていくという企画がありました。
その質問とはズバリ「アメリカが最後に偉大だったのはいつだと思いますか?」というもので、これはトランプのスローガンである「アメリカを再び偉大に」に掛けた質問です。
コメディアンたちは、支持者たちが語る「偉大だった時代」の一つ一つにツッコミを入れていきます。
例えば「それは建国の時よ」と答える女性には「奴隷制は除いて、ですよね?」とツッコミを入れます。
「戦後の40年代や50年代だね」と答える男性には「確かに50年代のアメリカは素晴らしかったですね…人種差別があったり女性の権利が弱かったことを除くと…」とツッコミを入れます。
過去のアメリカは今では当たり前になった様々な自由を許さない国でした。奴隷制度に始まり、リンカーンが奴隷解放をした後にもジム・クロウ法で黒人を縛り付け続け、60年代の公民権運動により、ようやく制度的な差別が撤廃されました。女性の投票が認められたのは1920年で、人工中絶が合憲と判断されたのは1973年のことです。同性婚はヨーロッパ諸国に遅れて2015年に合憲と判断されました。(ところで、日本では同性婚は未だに認められていません。)
この企画で、彼らリベラルなコメディアンたちが言おうとしていることは、つまりこういうことだろうと思います。
「今のアメリカが一番いいでしょう?」
かつてのアメリカは余りにも不完全な状態で始まりました。それをアメリカ人たちは、彼ら自身の力と努力の積み重ねによって、一つ一つの障壁を壊してきました。
アメリカのリベラル派たちは「私たちは様々な制度的な差別を、努力して解決してきた。だから今が歴史上で一番良いアメリカだし、未来はもっと良くなっていく。」という考えを持っているのかも知れません。
それこそが楽観主義こそがアメリカ的なリベラルの精神なのではないでしょうか。
楽観主義の時代は終わったのか
しかし、実際に今のアメリカを見てみれば、制度的な差別がなくなった一方で、経済的な格差は絶望的なほどに広がったことに気づきます。。
なぜそうなったのかという議論は横に置きますが、今のアメリカの若者たちは、史上初めて親世代よりも平均収入が下回る世代と言われています。
CNBC / Millennials earn 20% less than baby boomers did–despite being better educated
この記事によれば、ミレニアル世代はその4割が学士号を持つにも関わらず、彼らの親世代であり25%程度しか学士号を持たないベイビーブーマーたちの同時期のものよりも20%も収入が低いとされています。
彼らは、彼らがこうなってしまった理由を、ほんの一握りの富裕層が莫大な富を独占している現状に求めます。
そしてその彼らの富裕層、そして富裕層と近しい関係にあるエスタブリッシュメントたちへの怒りが、彼らをバーニー・サンダースへの支持に駆り立てるのです。
先述したように、バイデンは生涯を通じて首都ワシントンD.C.で活躍してきた民主党のエリート、つまりエスタブリッシュメントなのです。
バイデンのようなエスタブリッシュメントが唱える楽観主義よりも、自分たちの怒りを代弁してくれるサンダースへと流れるのは当然のことなのです。
今はリベラル派の大きな転換期
現在、バイデンとサンダースの支持者たちは、その世代によってクッキリと分かれています。
CNNが今回のスーパー・チューズデーで行った出口調査の結果を見てみましょう。
比較的接戦でかつ投票者数が多いテキサス州では、18〜44歳でサンダースに投票したのは49%で、バイデンは17%でした。一方45歳以上では43%がバイデンに投票し、サンダースは19%でした。
このように、44歳までの若い世代と、中高年〜シニア層ではハッキリと支持が分かれます。
これは、中高年以上の「これまでのリベラル派が築き上げてきた実績と楽観主義への信頼を持っている世代」と、「楽観主義で築き上げてきた成果を否定はしないが、怒りでなければ解決出来ない現代の問題があるとする新しいリベラルの世代」によって起こっている分裂状態です。
そして重要なのは、若い世代に行くほどにサンダースへの支持は強固になっていくことです。出口調査の結果を細かく見ると、18〜24歳の63%がサンダースに投票したと答えています。
それを見ると、どのみちいつか、リベラル派たちはその楽観主義と自分たちが築き上げてきた信頼というものに見切りを付けて、若者たちが怒りで立ち向かう現代的な問題に真正面から対峙しなければならないでしょう。
まさに私たちは、アメリカの”喜びの政治”から”怒りの政治”への大きな転換点を目にしているのかも知れません。
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追記
ところで日本のリベラル派はどうなっているでしょうか。
思うに、かつて民主党が掲げていたリベラルな考え方というのは、非常に脆いものだったのかも知れません。アメリカのリベラル派はその長い民主主義の歴史の中で、一歩一歩社会を着実に改良してきたという自信を持っています。しかし、日本人は表現の自由や女性参政権のような基本的な人権を、第二次世界大戦の終結と同時に、ある日突然手に入れてしまいました。それを得るための苦労を何もすることなく。
つまり、日本の民主党を中心とするリベラル派には、アメリカのリベラル派が誇るような実績と、それに起因する自信というものを持っていないのかも知れません。
民主党は「政権交代で自民党のような旧態依然の政治から脱却させる」ということでしか、”喜びの政治”を表現することが出来なかったのかも知れません。そして、彼らは失敗しました。彼らに”喜びの政治”を再び興すことは出来ません。
しかしながら、安倍政権の施策は、非常に賛否が分かれるものばかりであり、それらを平然と行う姿勢を批判する声も少なくはありません。
今の旧民主党的なリベラル派は、無根拠な楽観主義よりも、サンダースのような”怒りの政治”へと舵を切らなければならない時なのかも知れません。