4月8日、ケタンジ・ブラウン・ジャクソン氏の最高裁判事就任が米国連邦上院で承認されました。
これによりアメリカ最高裁の歴史上初めて女性の黒人判事が誕生することとなりました。(初の黒人判事は1967年に就任したサーグッド・マーシャル判事。)
クリントン政権時代から判事を務め、今年で83歳となるスティーブン・ブライヤー判事が引退するため、ジャクソン氏はその後任として選ばれました。
アメリカの最高裁判事の任期は終身制であるため、本人が退任を決意しない限りはその座に居続ける事が出来ます。事実、一昨年に亡くなったルース・ベイダー・ギンズバーグ判事はクリントン政権時代の1993年から27年最高裁判事を務めていましたし、現在ブライヤー判事を除いた最高齢であるクラレンス・トーマス判事は1991年の父ブッシュ政権の頃から現在まで判事を務めています。
そのため今回承認されたジャクソン氏も今後数十年間に渡り、現在の最高裁では少数派であるリベラル派判事として、アメリカ社会に影響を持ち続ける事となります。
それではそのケタンジ・ブラウン・ジャクソン氏とはどのような人物なのでしょうか?今回は彼女のこれまでの経歴を簡単に紹介していきたいと思います。
生い立ち
ケタンジ・ブラウン・ジャクソン、出生名ケタンジ・オナイカ・ブラウンは1970年にワシントンD.C.で生まれました。このケタンジ・オナイカという名前は両親が西アフリカ人の言葉から取ったものであり、意味は「愛しい君」であるそうです。
ジャクソン氏の幼少期、父であるジョニー・ブラウンはマイアミ大学ロースクールで学び、彼は最終的にはマイアミデイド郡教育委員会の主任弁護士を務めることとなりました。
彼女はマイアミで育ち、中学高校で常に学校のリーダーに選ばれるような人物でした。ジャクソンはこの頃からスピーチとディベートの達人であり、高校時代にはディベートの全国大会でチャンピオンにもなりました。そういったディベートの大会で各地様々な場所に行く中で、彼女はハーバード大学を訪れる事となります。この経験からジャクソンはアイビーリーグへの進学を志す事となります。
1988年にハーバード大学に進学したジャクソンは政府行政と政治について学びました。92年に上位10%の優秀な成績で卒業した後1年間Time誌のリポーターとして働きますが、93年にはハーバード大学ロースクールに入り、96年に博士号を取得し卒業しました。
法曹界でのキャリア
法曹界入りしたジャクソンは、そのキャリアのうちの大半を公務員として過ごしてきました。ロースクール卒業後の彼女は二名の連邦判事の書記を務めた後、1999年から2000年の1年間は最高裁のブライヤー判事の書記を務めました。
その後の三年間、ジャクソンは民間企業に務めますが、2003年からは連邦政府機関の独立部門である合衆国量刑委員会に勤務します。これは連邦裁判所の判事に向けて量刑のガイドラインなどを策定する機関です。
2005年から2007年の間、彼女はワシントンD.C.において公選弁護人を務めました。公選弁護人としての彼女の印象的なエピソードとして、メディアではしばしば「合衆国対リトルジョン裁判」の話題が挙げられます。
この裁判は火器の不法所持により有罪判決を受けていたアンドリュー・J・リトルジョン三世という人物の控訴を争った裁判でした。この裁判において、ジャクソンは裁判官から与えられた質問が複雑かつ不公平なものであった事や、また陪審員に一定のバイアスがかかっていた事などを複数の見地から証明しました。これにより高裁側は、地裁の判断がリトルジョンの憲法修正第6条により守られている権利を侵害しているとし、彼の控訴を認めました。なおジャクソンは最高裁の歴史上、初めての公選弁護人を経験した判事となります。
法曹界でのジャクソンの活躍の場は常に刑事司法でした。2010年には合衆国量刑委員会に復帰し、黒人コミュニティに不釣り合いな影響を与えていた薬物使用に対する量刑を減らしました。これにより12,000人の量刑を軽減しました。
2013年にはオバマ政権下でワシントンD.C.連邦地裁の判事となりました。
判事としてジャクソンは被告人の視点に深い注意を払う人物でした。被告人の家族からの手紙なども熟読し、被告人が法廷に立つその理由について時間をかけてしっかりと理解を深めるようにしたとされています。
ワシントン・ポストの記事によれば、判事としてのジャクソンは司法書記としての経験を活かし「その人物(被告人)のコミュニティでの役割や、法廷に立つまでの経緯などを全力で理解しようとし、また彼らに対して直接的に語りかける人物である」と評されています。
またジャクソンの判事としての判断には公選弁護人であった頃の経験が反映されています。例として、「Make the Road New York対マカリーナン裁判」において、彼女は国土安全保障省に対してトランプ政権下のファストトラック・デポーテーション制度を差し止める命令を出しています。ファストトラック・デポーテーションとは移民に対する退去命令に関して本来必要とされる移民裁判所でのヒアリングをスキップし、更に当人に弁護士等への相談したり、申し立てをするための証拠・根拠を集め証明する時間を与えない制度です。
この制度下にある現状についてジャクソンは意見を表明しており、こういった唐突かつ急速な退去命令を可能とする制度を「突如として訪れる愛する人との別れ(死)」に例えて曰く「(現状では)強制退去をさせられた者とそれにより取り残される者の両者を完全に救済するための、適切な法的救済策が存在していない」としています。
このようにトランプ政権下での移民制度について司法の立場からストップをかけた事から、一般的にはジャクソン氏は比較的リベラルな考えを持つ判事であると考えられます。
その後2021年に、バイデン政権下においてワシントンD.C.連邦巡回裁判所(日本における高等裁判所にあたる)の判事に任命されました。
そして、今年の7月には引退するブライヤー判事に代わって新たな最高裁判事となることが決まっています。
ブライヤー判事もリベラル派であるため、トランプ政権下で形成された最高裁判事の保守6人対リベラル3人の勢力図には変化がありませんが、最高裁判事の任命には上院の承認を得る必要があるため、民主党の苦戦が予想される中間選挙の前にブライヤー判事の世代交代が出来たことに国内のリベラル派は一安心といった所でしょうか。
連邦最高裁はこれまで公民権や女性の権利、同性婚など大きな社会的な変化の是非を最終的に争う場として、アメリカ社会の歴史において極めて重大な役割を果たしてきました。ジャクソン氏がその最高裁において、今後どのような存在感を発揮していくのか注目してみていくべきでしょう。
引用・参考
Ketanji Brown Jackson – Biography
How a high school debate team shaped Ketanji Brown Jackson – The New York Times
As a public defender, Supreme Court nominee helped clients other avoided – The New York Times