先日NYTimesで掲載された意見記事に非常に興味深い物がありました。
「最高裁は縮小される必要がある(The Supreme Court Need to Be Cut Down to Size)」というタイトルの記事では、アメリカ最高裁が如何に強大な力を持っているか、そして彼らが人種的正義の達成を如何に妨害してきたについて書かれています。
歴史上、多くの場合において、最高裁は立法機関による差別撤廃への法整備や試みを違憲審査によって妨害してきたようです。
さて、トランプ政権以前のアメリカにおいての最高裁判事は保守派5人とリベラル派4人で、比較的パワーバランスが取られていましたが、昨年9月のギンズバーグ判事が死去した事で保守派のバレット判事が新たに最高裁判事に就任し、現在では保守6人対リベラル3人という保守優勢の構図が出来上がっています。
この様な状況下で民主党は、人工中絶の合憲性を認めたロー対ウェイド裁判のような人権にまつわる重要な判決を、現在の最高裁が覆すのではないかと危惧しています。
このような状況下でバイデン政権も最高裁の改革に向けた方法を模索しており、バイデン大統領は4月に大統領直属の諮問委員会を結成しました。リベラルな論調が強いニューヨーク・タイムズはそういった動きを後押ししようとしているわけです。
一方で、先に挙げたロー対ウェイド判決や、または2015年に最高裁が同性婚の合憲を認めたオーバーグフェル対ホッジス判決のように、リベラル派が望む社会変革を手助けしてきたのもまた最高裁です。
ではリベラル派は、最高裁の中でのパワーバランスが自分たちの都合の悪い状況になっているから改革を求めているのでしょうか?
その様な本音はあるかも知れませんが、彼らは少なくとも建前としては別の論点から議論をスタートさせています。
その論点とは最高裁の力があまりにも強く、彼らに社会がコントロールされることは非民主主義的であるという事です。
2015年のニューヨーク・タイムズのある意見記事がこの問題について切り込んでいます。
「投票をしなさい。」よく聞く言葉だ。「なぜなら次の大統領が、最高裁判事の椅子に誰が座るのかを決めるからだ!」
こんな風に言われるという事は、私達の民主主義が何か深刻な問題が起きている事を示している。
記事はこのようなリードから始まり、最高裁の持つ権力を批判しています。
よくよく考えれば、最高裁によって社会の変化が肯定されたり否定されるのはあまり民主的ではない事かも知れません。
例えば国民の多数が銃規制に賛成し、議会がそれに基づいて法整備を行おうとしても、最高裁がノーといえばこういった動きは全て止められてしまいます。
国民の多数が望んでいる事がストレートに政治行政に反映されるかは分からないのが、今のアメリカのシステムであるといえます。これは果たして民主的な政治なのでしょうか?
最高裁の持つ権能は政府や立法府の力が暴走するのを食い止めるためには極めて重要であり、アメリカの歴史においてそれはよく機能してきました。
一方で、最高裁が強くなりすぎている事で、却って非民主的な社会が出来上がっているようにも見えます。
果たして真に民主的な社会とはどのようなものなのでしょうか?
さて、現在民主党は大統領職と上下院の過半数を確保しており、最高裁以外のフィールドにおいては民主党が共和党よりも優勢な状況です。
彼らはそれらの力を結集して最高裁改革を行うのでしょうか。
現在の勢力図は来年11月の中間選挙までは続きますので、今後1年間のアメリカでバイデン政権と民主党がどのような動きを見せるのか注目です。
引用・参考記事